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東京北部ユニオン
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 “国鉄闘争の火をさらに大きく” 
被災地・福島と固く結び
職場闘争で資本の支配を打ち破る
国鉄闘争 全国運動の発展を!
 811号~(2012.6.27~)
791号~810号(2012.5.18~6.26) 771号~790号(2012.4.~5.17)
 751号~770号(2012.2.~3.30) 731号~750号(2011.10.~12.24)
  711号~730号(2011.10.~12.24) 691号~710号(2011.10.14~11.9)
671号~690号(2011.9.11~10.12) 651号~670号(2011.8.11~9.10)

スケジュール
国鉄闘争全国運動のホームページ
http://www.doro-chiba.org/z-undou/z-index.htm
NAZENブログは、こちら 福島診療所建設委員会ホームページはこちら

6月28日(木)
三里塚の青空市
昼食は手巻き寿司 厚焼き玉子、ツナマヨ、その他 マグロとネギ、アボガドとエビ
帆立の稚貝の味噌汁 これで300円
福島診療所・建設カンパ、入ります 広島の下田禮子さんから差し入れの
カルピス
夕食はゴーヤー・チャンプルー 豆苗のニンニク炒め 三里塚のナスをレンジにかけ、麺つゆ、
おかか、生姜に漬ける
皮は浅漬けに 鶏モツの煮物 沖縄の島ラッキョがあったので
メインは参鶏湯&野菜のスープ 舞茸ご飯
「街」分会、屋台、

3・11ずっと反原発闘争をやってる

若者と知り合いました

22日も国会に行ったし、

明日も行そうで、福島診療所・建設

カンパをいただきました
7/16参加者が増えました
今日もやります「街」屋台。
 
 毎回、「必ず新しい出会いがある!」と、思って開始するのですが、今日もありました!!
3・11以来、ずっと、原発反対でやってます、という若者と出会いました。その若者は先週の金曜日の4万5千人が首相官邸前に集まった、その現場にもいた。また明日も行きます、という。
 その後、通りかかった労働者としばらく話をして、この人は7月16日の10万人代々木公園の集会に行くことを決意。早速手帳に書き込んでいます。
「今の政府の在り方が許せない」という人、「原発は絶対反対!」という人、「みなさんもマスクをした方がいいですよ」という人。
 とにかく、みんな怒っています!みんなで原発いらない!の声を上げましょう!たくさんの労働者とつながりましょう!

 明日も、「街>分会の交流会をやります!

3・14法大弾圧を許さない法大生の会のブログから転載


 だ  ん   け  つ  2012年6月28日
812
東京北部ユニオン 「街」分会
関町北4-2-11

電話 3928-1378
市東さん農地裁判、山崎証人
"NAA
言いなりだった"自認
 6月25日、千葉地裁民事第3部(多見谷寿郎裁判長)で市東孝雄さんの農地裁判(行政訴訟と農地裁判が併合)が開かれ、市東さんを先頭に三里塚芝山連合空港反対同盟、顧問弁護団、支援・傍聴の労働者・農民・学生・市民が一丸となって闘った。今回の証人調べは、元成田市農業委員会事務局長の山崎真一。2006年7月3日、成田空港会社(NAA)は市東さんの耕作地の賃貸借契約解除のための申請書を成田市農業委員会に提出した。市東さんと反対同盟はNAAの違法や土地特定の誤認を強く指摘したが、同委員会はそれを無視して異例のスピードで手続きを進め、NAAの言うがままに「転用相当」の結論を出し、千葉県に進達した。山崎はその実情を知る人物だ。

 午後1時半に開廷。明らかになったのは、農業委員会という機関が骨の髄までNAAに屈服し、農地収奪の手先に成り下がった現実だった。土地特定の誤りがあることを市東さんから強く訴えられたことについて弁護団が問い質すと山崎は、「農地法20条2項の転用にあたるかだけを審査した」と逃げるのに必死だ。

 ここで市東さんがち上がり、自ら気迫を込めた尋問を行った。7月19日に農業委員会とNAAが車2台に分乗し、畑の「実地調査」に来たときのことを問いつめた。「あの時私は畑にいた。あなたたちは車から降りて1分もたたずに立ち去った」と指摘した。耕作地の位置や空港の境界などは調べず、形だけの調査だったことが浮き彫りになった。さらに市東さんは審理手続きの異様なまでの拙速さについて追及したが、山崎は責任逃れに終始した。

 続けて弁護団は、NAAが土地の底地を取得した時期について虚偽の記載を行い、農地を秘密裏に買収したのち転用もせずに持ち続けてきたという重大な違法を指摘した。山崎が「それほど大きなことではないと思った」と言い逃れに走るや、「何のための委員会だ!」と傍聴席から次々と怒声が起きた。また、農地が空港敷地の内外にまたがっていることを追及された山崎は、「当時その認識がなかった。公団から説明はなかった」という決定的事実を暴露した。「農地取得自体が違法、無効になる」と指摘されるとNAAの入れ知恵そのままに「内外一体として考えていた(問題ない)」などと繰り返した。「結局NAAが空港事業として申請したら、調べもせずすべてフリーパスということか」と詰め寄られると山崎は、「結果としてそうです」とあけすけに認めた。

 3時間を超す厳しい尋問を受けた山崎がすごすごと引き下がった後に、多見谷裁判長が本性をむき出しにした。

 多見谷は突然一方的に、「10月15日の石指雅啓証人(元国土交通省成田空港課長)の尋問方法について、神戸地裁に呼んでテレビ会議システムで行う」と通告したのだ。「証人は海上保安庁の要職にあり、現場を離れられない」というのが理由だ。NAA側の要求を全面的に受け入れ、証人への直接尋問をさせないという、裁判の原則を破壊する大暴挙だ。弁護団は全員が「認められない!」と弾劾した。傍聴席は怒りで沸騰した。裁判長は怒号の中「閉廷」を宣し、NAAと千葉県の代理人はいち早く逃亡した。だが弁護団と傍聴者は誰一人動こうとしない。弁護団は「進行協議の日程を入れろ」と激しく要求した。裁判長はかたくなにこれを拒否し、職員を前面に立てて退廷を促す。

 緊迫した膠着状態が十数分続いた。折れたのは裁判長だった。苦虫をかみつぶしたような顔で、進行協議の具体的日取りを弁護団に示した。弁護団は「テレビ会議方式は絶対に認めない」との意思を再度示して、法廷での攻防を締めくくった。次回の農地裁判は9月10日。

 裁判所近くの会場で報告集会が、全員一丸となって闘った高揚感の中で開かれた。最初に市東さんがあいさつに立った。「空港のやり方をあらためて思い知った。裁判長も許せない。これからもどんどん声を出してやります」と決意を表し、大拍手を受けた。続いて葉山岳夫弁護士を先頭に弁護団全員が発言し、農業委員会の現実と裁判長の暴挙を振り返り、非妥協で闘う姿勢を明らかにした。農業委員を経験したことがある県内の農民は、「農業委員会は農地と農民の権利を守る行政機関。他市町村に比べても、空港に偏る成田の姿は異常」と怒りを込めて訴えた。北原鉱治事務局長は弁護団の奮闘を称え、7・8三里塚現地闘争への大結集を訴えた。最後に萩原進事務局次長が、「農業委員会は農地転用機関へと変質している。裁判所の正体もあぶり出された。7・8に現地大結集を実現することが裁判での力関係も変える。全力で闘おう!」と一同に奮起を促した(TN)

「詐欺罪」デッチあげ粉砕、
女性労働者2名をついに奪還!
 警視庁がまたもデッチあげ弾圧! 

 絶対に許せない! またもや警視庁公安部によるデタラメな弾圧が行われた。6月7日、警視庁は関西の2人の女性労働者を、銀行口座の開設を理由に「詐欺罪」をデッチあげて不当逮捕した。「詐欺罪」など、まったくのデタラメである。マンションの家賃と水光熱費を支払うために銀行口座をつくった。そのどこが悪いというのか! 何が「銀行員をだました」だ! 逮捕される理由など一切ない。

 逮捕の7日当日、警視庁は早朝から大量の機動隊と公安刑事を動員し、東京の前進社本社、神奈川支社、大阪の関西支社(8日)など計7カ所を不当捜索した。どこの捜索場所でも公安刑事どもはわが同志たちの怒りと正義の反撃に迎え撃たれ、消耗し、ほうほうの体で逃げ帰った。

 関西の女性労働者の居宅では、警視庁公安一課・肝付伸一ら十数人が家の窓ガラスをたたき割り、暴力的に部屋に押し入って労働者を逮捕した。絶対に許せない。
(写真は叩き割られた窓ガラス)
 6月7日に「詐欺罪」をデッチあげられ不当逮捕・勾留されていた関西の2人の女性労働者が、6月27日、奪還された! 公安警察と検察は、デッチあげ弾圧を押し通そうと最後まで必死にあがいたが、2人の獄中での完黙・非転向の闘いと大衆的怒りの爆発に追いつめられ、さらには弾圧そのもののあまりのデタラメさと不正義性ゆえに、ついに起訴を断念して2人を釈放するしかなかったのだ。大勝利だ! 

 この勝利は、22日の首相官邸を包囲した4万5千人の大決起とともに、日帝・野田政権と警視庁公安部を今や一層の危機にたたき込んでいる。卑劣な弾圧を粉砕した地平の上に、あらためて敵権力への怒りを燃やし、原発再稼働阻止・野田政権打倒へ総決起しよう! 6・22に続き、6・29に首相官邸前行動が呼びかけられている。全力で決起し、さらに7・16へと突き進もう。(千)
<福島第1原発>1号機圧力抑制室外側で高線量を検出 毎日新聞 6月27日
東京電力は27日、福島第1原発1号機の原子炉建屋内にある圧力抑制室外側で毎時1万300ミリシーベルト(毎時10.3シーベルト)の放射線量を検出したと発表した。1号機の原子炉建屋内では最高だった。1号機は、1~3号機の中で最も核燃料の損傷度が大きく、放射性物質を含む水が外に漏れているのが原因とみられる。

【作業はできるのか…】福島第1原発:被ばく線量、収束か作業員安全か

 東電によると、26日に建屋1階から地下1階へ線量計などを挿入して調べると、汚染水の高さは5.2メートル、水温は32~37度だったことが分かった。線量は水面に近いほど高く、直上で同1万300ミリシーベルトを示した。汚染水の透明度は約60センチで、配管には事故直後の海水注入の影響で、さびが生じていた。

 人体は1000ミリシーベルトを全身に浴びると吐き気などが生じ、1万ミリシーベルトは致死量に当たる。2号機の格納容器内では今春、同7万2900ミリシーベルトを検出した。

 東電の松本純一原子力・立地本部長代理は27日の記者会見で、「これだけの高線量下では、ロボットに作業を頼らざるを得ない」と述べた。【中西拓司】
 福島第一1号機、建屋内で過去最大の線量計測 読売新聞
 東京電力は27日、福島第一原子力発電所1号機の原子炉建屋地下で、建屋内では過去最大の放射線量となる毎時1万300ミリ・シーベルトを計測したと発表した。

 作業員の年間被曝(ひばく)限度である50ミリ・シーベルトにわずか約20秒で達し、約6分で嘔吐(おうと)などの急性症状が出る。廃炉に向け、建屋地下では汚染水の漏えい場所の特定や修復が必要だが、東電は「作業員が入れるレベルではなく、ロボットを使った難しい作業になる」と話す。

 計測は、配管が通る1階の貫通口から内視鏡と線量計を入れて実施。地下階には、格納容器下部の「圧力抑制室」があるが、カメラでは損傷は確認できなかった。汚染水の深さは約5メートルで、線量は地下階に入った段階で約30倍の毎時625ミリ・シーベルトにはね上がり、汚染水の水面近くで最高を記録した。2、3号機の建屋地下階の10倍以上の線量になる。東電は「1号機は炉心損傷が最も深刻で、放射性物質が地下に多く流れ込んだ」と分析する。
原発輸出、断念へ=事故収束や賠償に注力―東電 時事通信 6月28日
 東京電力が官民一体で進める原発の輸出事業への参加を断念する方向となったことが28日、分かった。福島第1原発事故の処理や被害者への賠償に力を注ぐため、同社が先頭に立ってきたベトナムへの原発輸出計画についても、参加が不可能になったと判断した。

 東電は、電力会社やメーカーなどが出資する「国際原子力開発」(東京)を通じ、原発輸出を推進していた。ベトナムの計画では、運転や保守点検を行う技術者を派遣するとともに、人材育成のため現地の技術者を同社の原発に受け入れることなどを想定していた。 

6月27日(水)
朝、空気清浄器の掃除
三里塚の青空市、地域で確立しました
昼食は鮭ライス 青田さん差し入れのキャベツのスープ タンドリー・チキン250円
夕食はレトルト食品、パエリアの一工夫 スープカレーに一工夫
酒は信州の「真澄」

差し入れのドイツ・ワイン

三里塚のズッキーニのソテー
三里塚のジャガイモ・サラダ


差し入れのおつまみ →

 だ  ん   け  つ  2012年6月27日  
811
東京北部ユニオン 「街」分会
関町北4-2-11

電話 3928-1378

大間原発地元反対集会、30年ぶりに本格的町内デモわれる
 6月17日、青森県下北半島大間町の「大間原発敷地」に隣接する一坪共有地で、第5回大間原発反対現地集会が開催された。県内外から210人が結集。集会後には150人の隊列で大間町内デモが打ち抜かれた。大間町での反原発デモは約30年ぶり、本格的なデモとしては初の試みとして闘われた。

 野田政権の大飯原発再稼動決定や、3年半ぶりの六ヶ所村再処理工場試験運転再開と対決し、首相官邸前の闘いや大飯原発現地の闘いとのすごい同時的一体感を持って闘われた。
 会場は道路から100メートルほど入った草地だ。前日から開催されている世界で一番小さなロックフェス「大MAGROCKvol.5」と今集会のために、大間町在住の地主と集会実行委メンバーが事前に草刈りをしてつくった会場だ。

 そこには原発反対と大書きした2メートル四方の黄色い看板が海に向かって立てられている。集会は、航路1時間半のフェリーで結集する函館からの参加者の到着を待って開始された。

 すべての発言者が、福島を切り捨て原発再稼動を進める野田政権と電力会社、御用学者に怒りを表明。もう二度と福島の惨事を繰り返さないためにフルMOX大間原発の建設を絶対に阻止すると決意を語った。

 建設進捗率37・6%の大間原発敷地内には未買収の土地が1町歩ある。これは世界に例がない。この土地を母の故熊谷あさ子さんから引き継いだ小笠原厚子さんは、「まだまだ大間原発を知らない人が多い。話すとそんなとこあったの? とビックリされる。野田首相はとんでもないことを言ってくれた。『国民の生命と財産を守るため』に大飯原発を再稼動すると。でも『国民の生命と財産』は子どもたちなんですよ。子どもたちを不安にさせ危険にさらす、本当に人間なのかと恐怖を感じます。大間原発建設をとめましょう」とあいさつをした。
 集会宣言では、「大間原発建設工事を再開させず、全原発の廃炉、そして、六ヶ所再処理工場をはじめとする核関連施設を廃止するために全力で行動すること」を確認。

 150人のデモ隊は、笛とドラムを先頭にフルMOX大間原発反対の横断幕を広げて出発。「原発なくそう! 再処理止めよう!」「大間原発の工事再開するな!」「福島を返せ! 子どもたちを放射能から守ろう!」のコールとシュプレヒコールでアピール。多くの町民が軒先に出て来たり、窓から顔を出してデモに見入っていた。ビラまきに顔をしかめ拒否する年配の女性もいたが、注目すべきはデモに手をふる町民や「子どもたちを守ろう!」にその通りだとうなずくお母さんたち、新聞記者のインタビューに「大間原発はやめてほしい」と語る男性など、普段はなかなか声に出せないが多くの町民が原発建設に反対の思いを持っていることが示されたことだ。前日には町立公民館で同実行委員会主催、青森県平和労組会議大間支部共催で学習会が行われ、大間町民も複数参加した。

 「村八分を覚悟しながら」長年町内で反対して闘ってきた闘士と町民、県内外から結集した労働者市民が3・11情勢で結合を開始した。大勝利だ。NAZEN青森、8・6―8・9統一実、8・6ヒロシマ実、ス労、動労水戸、百万人署名運動の仲間は、集会に先立ち大間原発事業主体である電源開発に対して建設中止を求める申し入れ行動を行った。

 3・11前、建設現場に1700人いた作業員が4分の1になり、建設中止は「町の存亡にかかわる」と大間町は工事再開を国や県に求めている。夏に向けて攻防は激しい。原発と被曝労働、非正規職、失業がないと経済が成り立たないというこの資本主義を労働者と農民・漁民の団結で転覆し、新たな経済を打ち立てる課題がこの攻防の土台として横たわっている。帝国主義を打倒し社会主義を展望する階級的労働運動の建設が待ったなしなのだ。激しい目の前の攻防に本気で「勝とう!」と仲間に呼びかけ、 国鉄闘争全国運動と反原発の闘いを職場から必死につくり出そう。活動家と団結を形成して勝利への道を突き進もう。(青森・S)

関西合同労組かねひろ判決
闘い正義性資本裁判所圧倒

 6月19日、神戸地裁尼崎支部で、かねひろ運輸解雇撤回闘争の禁圧を狙う裁判の判決公判が行われた。かねひろ裁判は、12年にわたる許用皓さんの解雇撤回闘争を禁圧するため、資本が「地位不存在等確認」を求め「争議は違法」と訴えたものだ。

 かねひろ運輸資本は、労働組合を職場につくろうとした許用皓さんを、組合嫌悪で2000年7月、「指名解雇」。以来、許用皓さんは、この解雇に怒りを燃やし、解雇撤回・原職復帰を掲げて闘いぬいてきた。
 この闘いは、同時に「労働者は闘っても勝てない」と救済主義に転落した塩川派が巣くう「関西合同労組兵庫支部」執行部による「金銭和解路線」との闘いでもあった。彼らは、国鉄闘争を裏切った「4・4」派に純化し、資本の手先になって解雇撤回闘争破壊に手を染めてきた。資本が許用皓さんへの「指名解雇」に血道をあげているとき、彼らは資本の攻撃に屈して、無期契約を放棄し、解雇攻撃を呼び込むようなとんでもない「3カ月契約書」を取り結んだのだ。2000年7月解雇は奴らのこの裏切り抜きにはありえなかった。許用皓さんは、塩川派執行部の裏切り・闘争破壊を弾劾し、のりこえて、あくまで解雇撤回を掲げ意気高く闘いぬいてきた。08年の分岐以来、新たな団結で社長宅包囲弾劾・社前抗議行動を闘い、企業団地での署名は200筆に及んだ。不屈の闘いに共感する輪が広がり、2011年阪神支部が結成された。かねひろ闘争は、塩川派と分岐して階級的労働運動路線のもと「闘う関西合同労組」をつくり出す闘いでもあったのだ。

 こうした闘いに追いつめられたかねひろ運輸資本は、2010年1月に「雇用関係不存在」「争議行為の禁止」を求めて裁判所に泣きつき、許用皓さんを訴えてきた。盗人猛々しいと言うべき裁判だ。許用皓支部長は、かねひろ側が3人もの弁護士をつけて臨んできたのに対して、弁護士なしでたった一人で法廷に立ち、関西合同労組の固い団結で闘った。「あくまで解雇撤回」を貫いて門前闘争を続けた2年半。この闘いの全過程が勝利そのものとして勝ち取られてきたのだ。

 判決公判には、関西合同労組組合員をはじめ地域の仲間20人が結集する中、神戸地裁尼崎支部長の揖斐裁判長は、こそこそと主文だけを読みあげて脱兎のごとく逃げ去った。判決になんの正当性・正義性もないことを自己暴露したのだ。これに対して、許用皓支部長は法廷全体を圧倒する怒りの演説を行い、反動判決を徹底弾劾した。そしてあくまでも解雇撤回を貫き、デタラメな判決には控訴して闘いぬくことをきっぱり宣言したのだ。そして最後に、全員でシュプレヒコールを叩きつけた。

 判決は、事実認定においてもかねひろ資本の言いなりで、「雇用契約上の権利がないことを確認する」とし、「社長・会長宅半径200メートル内」での争議行為を禁止するとんでもない反動判決だ。しかし、かねひろ運輸資本の思惑どおりにはならなかった。資本の狙いは門前闘争を含む争議行為の全面禁圧だったが、判決は、門前闘争を禁止できなかった。それどころか、会社敷地内への立ち入りを限定的にせよ認めている。労働組合に門前闘争の「お墨付き」を与えてしまったのだ。かねひろ判決は、敵の狙いを核心で打ち砕いた。12年に渡って「解雇撤回」を貫いてきた階級性・正義性が、かねひろ運輸資本、裁判所を圧倒したのだ。そもそも解雇撤回闘争は、職場闘争・団結の拡大で勝利する闘いだ! 何かにすがって勝ち取れるものではない。裁判所に「認め」させた門前闘争を断乎として闘いぬき、かねひろ運輸資本が解雇撤回の白旗をあげるまで闘いぬく決意だ。(関西・K)

全証拠開示・再審開始を求める 
7・1東京高裁包囲デモ

 
7月1日(日)午後2時 日比谷公園霞門集合
主催 
星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議


6月26日(火)
昼食は豚シャブ 水餃子のスープ
国労物販の漁師のふりかけ 「前進」の読み合わせは、手短に ビワ捕獲作戦に
3時のオヤツ
夕食はウナ丼 豆苗炒め 茹でトウモロコシ
五目厚揚げ 浅利の味噌汁
オカちゃんの特製ラーメン

報道ステーション首相官邸前デモに45000人!
"報道ステーション 首相官邸前デモに45000人!..."
この動画は、TV- Asahi Corp. さんによる著作権侵害の申し立てにより削除されました。
申し訳ありません。
6.22 官邸前45000人集結!大飯原発再稼動決定を撤回せよ!

徒歩で1周しながら撮った首相官邸デモの状況(2012.6.22 18:50-19:00)



 だ  ん   け  つ  2012年6月26日
810
東京北部ユニオン 「街」分会
関町北4-2-11

電話 3928-1378

東京・杉並を反原発闘争爆発の拠点に! 
NAZEN杉並が集会

 6月23日、前夜の首相官邸前4万5千人決起の熱気もさめやらぬ中、NAZEN杉並は「福島の怒り・想いにつらなり すべての原発を廃炉に! 6・23杉並集会」を165人の参加でかちとりました。新たな若い仲間も加わった例会を積み重ね、5月・6月と連続の高円寺デモ・阿佐谷デモ・街頭宣伝・勉強会、そして6・10国鉄集会を通して、杉並でのNAZEN運動の本格的開始を進めてきました。連日の街宣でも明らかに地熱は高まり、手応えが違いました。

 集会は「子ども福島」の佐藤幸子さん・「福島診療所建設委員会」の松江寛人さんの講演を中心に、再稼働阻止・原発廃炉へ、どこまでも福島と具体的に結びついて団結と連帯をどんどん広げること、職場・地域で闘って被曝労働と対決するホンモノの運動をつくろうというものです。

 講演の中で佐藤さんは、今なお続く福島現地での分断攻撃、それを撃ち破る闘いの大変さとともに、具体的な連帯の拡大の展望を語り、その砦としての「診療所」の重要性を強調されました。今や全国・全世界・首相官邸でうずまくデモの高揚の最前線で激しく闘ってきた確信が伝わってきました。松江さんからは医師として、極悪人山下教授への怒りと、この秋にも診療所を開設する決意がユーモアを交えて語られました。さらに動労水戸からのビデオメッセージで、被曝労働に労働者の団結で対決して闘う道が示されました。

 集会後半も濃い内容でした。部落解放同盟全国連杉並支部の青年による映像を使った、生々しい現状に迫る「南相馬支援活動報告」、西部ユニオン鈴木コンクリート分会内尾分会長の不屈の決意、西部労組交流センターの福島出身の女性自治体労働者の意を決した発言、NAZEN吉祥寺の青年の鋭い怒り、沖縄民権の会の座覇さんからは「6・23」にオスプレイを押しつけながら訪沖した野田への弾劾、齋藤全学連委員長からは、京大・法大はじめ最先頭で闘うアピールなどが勢いよく続きました。1分アピールでは大間現地闘争・大飯現地闘争を闘った仲間からの発言などを受け、街頭から、また東京各地のNAZENの仲間の参加を得て、とりわけ若い力を感じさせる集会となりました。

 最後に集会アピールを東京西部ユニオン青年部が読み上げ、第一に、診療所建設運動、第二に、被曝労働を許さない運動、第三に、7月16日10万人結集の実現を宣言・採択し、事務局の北島邦彦さんからまとめと行動提起が行われ、運動の継続・拡大と7・16が訴えられました。

 3・11福島の闘いは稼働原発をゼロに追い込み、福島と沖縄が結びつき野田政権を追いつめています。労働者内部の分断や裏切りに負けなければ、野田の再稼働強行策は必ず10万、100万の非和解的な闘いに発展します。ビキニ=戦後原水禁運動の爆発の拠点だった杉並・東京の地を、再び階級的な反原発・国鉄の一大震源地に! その展望をつかみました。(杉並・SW)

6・23 NAZEN杉並集会アピール
 大飯原発の再稼働を絶対許せない!7・16反原発集会に10万人を集め、その力で再稼働を絶対に阻止しよう!原発事故は終わっていない!昨年12月の「収束」宣言、再稼働表明を強行した野田政権をぶっとばそう!

 6月16日、野田首相は関西電力大飯原発3、4号機の再稼働を決定しました。
 8日の記者会見では「福島県民の気持ちは理解できる」と言ったうえで、 「人々の日常の暮らしを守る責務を放棄することはできない」と言いました。絶対に許すことができません。原発事故によりどれだけ多くの福島県民が、子どもたちが命の危険にさらされ、働く場を奪われたでしょうか。福島県民に対して避難も賠償も行わず、何か責務ですか!さらに再稼働表明は福島第一原発労働者の強いられている極限的被曝労働に全く触れられていません。もともと原発労働こそ、第7次、第8次とも言われる下請け労働、派遣、偽装請負によって低賃金で被曝労働を強制し、潤ってきた新自由主義そのものの利権構造です。年間50ミリシーベルトを越えた労働者はもう原発で働けないため、偽名を使って他の原発で作業をさせる。その繰り返しで成り立ってきた産業です。福島第一原発事故の現場では、防護服を着せない。私服のままで瓦礫撤去に被災地の労働者をかり出しています。飯舘、南相馬などの作付けできなかった農家が防護服もなしに除染作業員をやっています。ここでも、潤うのは大手ゼネコンです。税金で束電やゼネコンが儲けて、被災者が被曝労働をさせられる!これが今、福島で行われている「復興」です。

 さらに野田首相は「原発を止めたままでは社会が成り立たない」「雇用の場が失われてしまう」と言いますが、今、2千万人の若者の大半が非正規雇用に突き落とされ、2百万人以上が生活保護を受給せざるを得ない貧困にたたき込まれています。野田首相は99%の犠牲の上に、1%が金儲けする新自由主義社会を成り立たせるために再稼働を決定したのです。そのために福島の人々は犠牲になれ、若者はおとなしくしていろと言っているのです。生活保護を不正受給と言うのなら、違法な派遣労働、偽装請負で潤い、消費大増税による輸出還付金でボロ儲けを狙っている資本家こそ不正受給者であり、富を全額返金すべきではありませんか?

 原発とは民衆の生命を奪い踏みにじる新自由主義の電源であり、源泉であることがはっきりしました。もうこんな社会に未来はない!原発をなくすために、原発を必要としている社会を根本からひっくり返す運動を、杉並の地から大きく発展させていきましょう。

 第一に、福島診療所建設を提起します。福島のお母さんたちは「責任をもって体調管理をする医者がいない、福島医大の山下教授は信用できない」と訴えています。診療所建設は福島県民のよりどころとなる拠点をつくる運動です。最悪の御用学者・山下教授を福島からたたき出し、国の責任逃れと被曝の隠蔽を許さない運動です。

 第二に、被曝労働を絶対に許さない運動をつくることです。一人の労働者に大量被曝をおしつけるのか?人海戦術で廃炉にするのか?しかし国は原発労働者を人として扱わず、使い捨ての道具としています。この国の現状、労働の現状と向き合わずして原発をなくすことはできません。わたしたちは廃炉作業に立ち向かう労働者と手を取り合い、原発労働者の非正規雇用を許さず、健康管理、被曝防御の装備を国・東電に要求します。それは、わたしたち自身の職場で、仲間の解雇撤回と非正規雇用をなくす運動と一体で日常的に進めることが決定的です。すべての職場に労働組合という民衆の武器をよみがえらせ、全原発を廃炉にしよう!

 第三に、7・16反原発集会に10万人を集めることです。仲間を集い、集い、集い、首都を埋め尽くす巨大デモの先頭に、NAZEN杉並は立とうではありませんか!
  NO NUKES ! NO WAR ! 
  沖縄米軍基地オスプレイ配備と普天間基地の固定化、辺野古新基地建設を阻止しよう!
 すべての核・原発をなくすまで、NAZEN杉並は団結して闘おう!

三里塚芝山連合空港反対同盟 動労千葉 星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議 労組交流センター
動労千葉を支援する会
3・14法大弾圧を許さない法大生の会
北島邦彦の「すぎなみ未来BOX」
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