6月26日、経済産業省が佐賀県で開催した県民説明会、と言っても主催者が選んだ限定7名への説明会。しかもケーブルテレビ局のスタジオで行うという異常さ。この欺瞞に満ちた県民説明会に九州電力が組織ぐるみで賛成意見を投稿した、いわゆる「やらせメール事件」が発覚し、佐賀玄海原発再稼動をめぐる問題が一躍全国から注目をあびることになりました。国の安全宣言と保障をねだる地元町長。未だ収束しない福島原発の惨状を前にして尚、安全宣言の安売りをする海江田経産大臣。初めに再稼動ありきの茶番劇が九州を舞台に現在進行形で展開しています。その九州で昨年末から脱原発運動に取り組む人たちと協働で「脱原発社会を目指すための記録映画製作」の準備を進めてきましたが、この度その第一作「脱原発いのちの闘争」が完成しましたのでご案内致します。
映画製作プロジェクトを立ち上げようとしたその矢先、未曾有の東日本巨大地震が起きました。何の因果か、私はそのとき、玄海原発プルサーマル(MOX燃料使用差し止め)裁判の公判廷の中にいました。その後次々と巨大地震、津波の広域被害だけでなく福島第一原発が事故を起こしているということも判ってきました。東日本大震災は地震、津波に加え原発震災という最も恐れていた事態が現実のものとなってしまったのです。国民はフクシマ原発震災がもたらす放射能汚染という見えない恐怖に脅かされることになりました。都市住民によって買い占められる水、食糧(農産物、水産物)。風評被害もあっという間に広がりました。生産しても売れない、出荷も出来ない生殺し状態の農業者、漁業者が苦痛に耐え、怒りに震えています。一旦事故が起きれば制御できない原発の実態が日を追うごとに明らかになってゆく。いつ起こるか知れない原発震災の恐怖を長い間訴えながら政府や電力会社から無視されつづけてきた「反原発」「脱原発」住民運動に取り組む人々が一斉に行動を始めました。チェルノブイリ以来、久しく鳴りを潜めていた脱原発運動が世界中で湧き起こってきました。日本でもこれまで原発に関心を持たなかった人までもがフクシマの惨状を前にしてようやく意思表示を始めたのです。この記録映画の舞台となる九州は、玄海原発1号機の老朽化とプルサーマル発電の危険性、鹿児島川内原発の3号機(世界最大級)増設計画を抱え揺れていました。しかし九州電力は危惧する市民と真摯に向き合うことも、誠実な対応もしてこなかった。
4月20日、脱原発ネットワーク・九州、九州電力消費者株主の会は九州電力本店前にテントを張り、九電との交渉を求める無期限の座り込み行動を呼びかけた。テントは「原発止めよう!九電本店前ひろば」と名付けられた。 今回の映画「原発震災を問う人々」シリーズ第一弾!「脱原発いのちの闘争」(102分)は、鹿児島川内原発周辺の海岸で「温排水と海の生物の異変」を記録しつづけている、海がめ産卵・ふ化保護監視員・中野行男さんの活動と、5月18日に行われた「原発廃炉を求める連絡会260団体」対「九州電力」の原発の安全性をめぐる徹底討論を中心に構成。九電株主総会(6月28日)当日に行われた人間の鎖行動。海江田経産大臣の佐賀(安全宣言)訪問、九電やらせメール発覚によって混迷を深める佐賀県庁への抗議行動など、住民による、住民の生存権を問う、いのちの闘争を記録したものです。職員による人間バリケードで住民との対話を一切拒否してきた佐賀県への抗議行動では俳優・タレントで知られる山本太郎さんが飛び入り参加をした。 芸能人が社会的発言をするには相当の勇気がいると想像する。それが「反原発」「脱原発」発言であれば、なお更である。電力会社による独占体制の既得権益ムラに組み込まれているのは政官産学だけではない。広告収入に依存する新聞・テレビマスコミ、芸能界も同じだからだ。山本太郎さんは、原発は生命にかかわる問題だから自由に発言したいと所属事務所を辞め、子どもたちの生命を守るために全国区の行動を起こした。佐賀県庁行動で発する彼のメッセージは明快で説得力がある。必見のシーンである。 「私たちは帰りたくても帰れない。福島を返して欲しい!」映画のラスト、福島から避難してきた若い母親の問いかけに、我々はどう応えることができるか。日本の新聞、テレビは政治家のぶら下がり取材や、記者クラブ制度にあぐらをかいた特権的取材に力は入れても現場で行動する市民・住民の声を何故か伝えようとしない。
子を持つ若い母親たちの「いのちを賭けた」抗議行動。彼女たちの止むに止まれない必死の行動と肉声を記録し、多くの人々に伝えなければならない。
西山正啓監督
シリーズ「原発震災を問う人々」製作にあたり脱原発社会への想像力と創造力2011年3月11日午後2時46分以来、我々はかつて経験したことのない光景を目撃している。巨大地震、津波に加え、原発震災、放射能汚染、実害・風評被害が深刻だ。 放射能は大地を汚染し、飲料水、農産物だけでなく生態系のあらゆるものを汚染する。我々は放射能という見えない脅威に怯え、社会不安は増すばかり。故郷を追われる人々。自治体ごと他県に避難せざるを得ない人々。何の罪もない人々が生殺しの目に遭っている。これまで産業界もマスコミも競って安心・安全を売り物にしたオール電化生活を謳い、その生活を享受してきた首都圏住民が汚染パニックに陥った。皮肉にも安心・安全を誇大宣伝してきた原子力発電がその破滅的正体を晒したのだ。
東日本巨大地震が起きたとき、私は玄海原発プルサーマル(MOX燃料使用差し止め)裁判の公判廷の中にいた。電力会社が用意した準備書面は専門用語と数値の羅列だ。すぐ理解しろと言う方が無理だ。誰かが、この裁判は科学(者)論争だと言った。しかし広島、長崎、スリーマイル、チェルノブイリそしてフクシマも人間が引き起こした地獄絵図である。30年前、原爆の図の画家で知られる丸木俊さんが、撮影中に「(原爆を)経験したことがないからわかりません。」という子どもの質問に「経験することは死ぬことよ。私たちには想像する力があるのだから。」と答えた。
これほどわかりやすい言い方はないと思った。我々の社会は一極集中型の巨大発電・供給システムが如何にリスクが大きいかを体験した。 「脱原子力発電~原発依存社会から脱却せよ!」である。3・11は戦後66年間で築き上げてきた一極集中型の社会システムが破綻したのである。原発震災を問う人々、小規模・多様・地域分散型(再生可能エネルギー)電力供給システムを追及する人々、この時代の難局を乗り越えるために、難題中の難題に確固たる意思をもって挑む人々を映画で記録したいと思う。根こそぎ家を失い、家族を失った被災者の苦痛と、そして今も尚、高濃度放射能汚染を食い止めるために命がけで作業する人々への細心の想像力を働かせながら。脱原発!我々は思考停止してはならない。
西山正啓
1948年山口県生まれ。86年から沖縄読谷村に滞在して「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」製作、強制集団死遺族の証言、読谷高校の卒業式で繰り広げられた「日の丸」強制に抵抗する高校生たちの行動を映画「ゆんたんざ沖縄」に記録した。2000年には「未来世を生きる~沖縄戦とチビチリガマ」を発表。 代表作に「しがらきから吹いてくる風」「梅香里」「ぬちどぅ魂の声」「朋の時間~母たちの季節」「水俣わが故郷」「米軍再編・岩国の選択」「消えた鎮守の森」「貧者の一灯」シリーズ三部作。「知花昌一・沖縄読谷平和学」「チビチリガマから日本国を問う!」「恨ハンを解いて、浄土を生きる」など「ゆんたんざ未来世」シリーズ三部作。現在、新シリーズ「原発震災を問う人々」を製作中。「脱原発いのちの闘争」はその第一弾。