日  誌
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2012年日誌

2月4日~6日

 オープンスペース街に2.5徳島刑務所包囲デモの闘争動画がアップされてます。感動の場面の数々です。最後の田中委員長の発言の後ろを星野希望バスが横切るところなんて最高です。

 だ  ん   け  つ  2012年2月7日
744
東京北部ユニオン 「街」分会
関町北4-2-11

電話 3928-1378

「この声を星野さんに!」
600人
デモ徳島刑務所包囲
 「ついにこの日、この時が来ました! 星野文昭さんは今、耳を澄ましてデモ隊がやって来るのを待っています! 星野さんにデモで肉薄しましょう!」――星野さんをとり戻そう全国再審連絡会議共同代表の狩野満男さんがデモに先立ち、第一声を発した。全国労組交流センターの徳島総会で新たに代表に就任した辻川慎一さんがマイクを握り、「今、世界体制が音を立てて崩壊している。3・11大震災と原発事故、どれだけ多くの労働者を殺し、どれだけ多くの子どもたちに放射能を降り注いでいるのか。刑務所に入るべきは誰だ! 星野さんではなく、日本の腐ったブルジョアジー、政治家どもこそ刑務所に入れるべきだ!」と激烈に訴えた。

 青年労働者・学生たちが総力で核付きの沖縄基地の固定化に反対し、命がけで闘った70年安保・沖縄決戦、その先頭で闘った星野同志。「日本階級闘争の大地に絶対に星野さんを登場させたい。獄中37年の星野さんを奪還するためにともに立ち上がることを呼びかける。星野さんは2~3年で出ると言っているが、この1年の闘いで奪還しよう!」「獄中にいるのはわれわれ労働者の仲間だ。獄中・獄外の労働者の仲間を獲得する闘いとして呼びかけよう!」

 星野暁子さんが、星野文昭さんからのメッセージを読み上げ、「今この時も文昭の心は闘う私たちとともにあります。文昭が徳島刑務所に移管された1987年10月20日から24年間、面会を続けてきました。文昭が解放されたらきょうのデモコースを必ず一緒に歩きたいと思います。友人面会ができていたなら、被災地の苦闘、非正規の現実、沖縄の現実を聞いて、限りない暖かな笑顔で包み込むでしょう。それを阻んでいるのは権力です。刑務所にいる受刑者の大半は労働者人民だ、在日や沖縄出身者、被差別部落民も多いと文昭は話してくれました。きょうのデモで文昭の解放を呼びかけるとともに刑務所にいる労働者人民に私たちの声を届けましょう!」とアピールした。

 全学連の斎藤郁真委員長が、星野さんの不屈の闘いに励まされて法大闘争を闘いぬいたことを報告し、星野奪還を宣言。結集した全国各地の星野さん救援会から、地元徳島の救う会が「全国労組交流センターの決断が刑務所包囲デモをついに可能にした。労働者階級の力で星野さんを取り戻すこの路線が正しかったと実感した。労働者階級の力で世の中を変えましょう!」と語り、全国24番目の名乗りをあげた愛媛の会、被災地・福島や宮城の会などから星野奪還への決意が語られた。

 星野再審弁護団から参加した和久田修弁護士もマイクを握り、「弁護団を結成して21年、星野さんを取り戻す証拠を発見できた。あともう少しです! 頑張りましょう!」と檄を飛ばした。

 暁子さん、動労千葉の田中康宏委員長を先頭に徳島刑務所デモに出発した。「星野を返せ! 星野は無実!」「沖縄を返せ! 基地をなくせ!」「暖房入れろ! 湯たんぽ入れろ!」

 刑務所への道筋、住民からもエールが送られる。徳島刑務所は正門を閉じ、内側に刑務官が勢ぞろい。緊迫感をシュプレヒコールが打ち破る! 600人に膨れあがった長蛇のデモが刑務所を包囲する。刑務所の塀に沿ってデモは進む。声を限りに「星野を返せ!」「星野さん! みんなで来ました! 暁子さんと一緒にデモしてますよ!」――この声は星野さんに絶対に届いたはずだ!

 徳島刑務所包囲デモの第一弾は圧倒的勝利をかちとった。デモ終着点で暁子さんが「デモを貫徹した皆さん! 私たちの思いは星野文昭と受刑者、心ある看守のもとに届いたと思います。労働者が団結した力で闘うことはどんな困難な状況も解決することができる。必要なすべての飛躍を成し遂げて3・11福島、5・15沖縄闘争へ立ち上がっていきましょう!」と呼びかけ、最後に田中委員長が「絶対に星野さんを奪還しなければならないと決意を新たにした。こういう闘いがいよいよできるようになった。きょうは無実の星野さんを奪い返す闘いの出発点だ!」と、新たな闘いを宣言。星野同志奪還へ、時代は大きく動き出した! (J・M)

  徳島刑務所包囲デモの声、獄中の星野同志に届く!
 徳島刑務所包囲デモを闘いぬいた翌日の2月6日、星野文昭同志に面会するため星野暁子さんとともに徳島刑務所を訪れた。私(金山克巳)の面会は拒否され、暁子さんが面会した。

 面会を終えた暁子さんが報告した。星野同志は会うなり、「金山君が面会できなかったんだね」と言った。暁子さんが「聞こえた?」と聞くと、即座に「完全に聞こえたよ」と答えた。「入田支所前の集会からかすかに聞こえ、その後、だんだん近づいてくるのが分かった。刑務所裏に来た時は一つひとつの言葉がはっきり聞こえた、本当にうれしかった」と言った。日曜の午後1時から3時は「午睡」の時間で、刑務所側は大音量で音楽を流すなどの妨害を行えなかった。

 この日は、面会のすべてが2・5闘争のことで終わったと、暁子さんは言った。星野同志は「誰が来ていたか」を聞きたがり、暁子さんは次々に答えたそうだ。星野同志は、「労働者階級と分断しようとする攻撃に対して、心を一つにして闘うことができた。本当に大きな闘いだ。新たな出発点となる力強い闘いで、大きな一歩を踏み出した」と確信に満ちて答えた。

 今回の面会拒否は、2・5徳島刑務所包囲デモの大勝利に対する直接的な反動だ。まったく理不尽な攻撃に怒りを抑えることができない。全国の労働者人民の反撃で打ち破ろう。

 面会の目的は言うまでもなく、刑務所包囲デモの報告だ。報告することは、30分では足りないくらい、いっぱいあった。そして、当日のデモが星野文昭同志に聞こえたか、感想はどうか、直接聞きたかった。この日の朝プリントした『前進』速報版を、面会室で見せようと思って持って行った。
 朝8時、差し入れ行動を行う20名の仲間と合流し、刑務所に向かった。面会の手続きをして待合室で待っていると、処遇首席の西岡が現れた。私と星野暁子さんの目の前に立ち、「星野暁子さんの面会は認めるが、あなたの面会は認めない」と通告した。理由を聞くと「所長の決定だ」と言うのみだ。重ねて「決定した理由は何か」と質問すると、「ここでは答えられない」と傲慢な態度で言った。「では、どこで答えるのか」と追及すると、「面会できないのだから外に出ろ。ここは面会者用の待合室だ」と回答を拒否した。抗議をして外に出て、星野暁子さんの面会終了を待った。

 全国労組交流センター第19回総会の成功と一体で2・5闘争は勝利した。労働者階級の力で星野文昭同志を取り戻す闘いが始まったのだ。自由な友人面会をかちとろう。獄中弾圧を粉砕しよう! 労働者人民の力で星野同志を奪還しよう。(金山克巳)
羽田から飛行機で徳島へ。富士山です
徳島着
無料の遊覧船に乗ります
眉山です ユリカモメ襲来
ホテルで夕食
口直しに飲み屋で一杯で 阿波鶏の焼き鳥4種
 鶏のたたき・生

刺身盛り(小)


白子の天ぷら

2月5日
朝食はホテルで
第二班、昼食はセルフのうどん屋で

うどん、大・中・小

3人で1080円
その頃、駅前では星野街宣
トイレ休憩、文化の森
入田支所に到着
デモ出発


夕食は、日本酒&魚中心で
ウツボのたたき
海鮮巻き
メバル煮 鯖のへしこ(ぬか漬け)
2月6日
朝から、差し入れ行動
徳島新聞には、キチンとした記事が掲載されました
面会を終えた暁子さんの手には、


星野さんの絵

徳島に戻って、うどんデ昼食
阿波踊り会館に行きます ロープウェーで眉山へ
曇っていて視界ゼロ


三里塚芝山連合空港反対同盟 動労千葉 星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議 労組交流センター
動労千葉を支援する会
3・14法大弾圧を許さない法大生の会
北島邦彦の「すぎなみ未来BOX」
とめよう戦争への道!百万人署名運動

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